奥さんの高校の友達が写真家をしていて、渋谷で個展を開催しているとの事で遊びに行ってきました。
結婚式ぶりに挨拶をして、見せてもらって、話を聞いてきいて、最後には見たことないカメラで撮影までしてもらいました!
さて、僕の事を思い返すと、カメラの撮影技術や知識も身につけたいなとなんとなく思っているにも関わらず、全く見につかないまま今に至っています。これはきっと、僕には表現したいものは特になくて、ひたすら思い出を切り取りたかったからだな、と気づきました。技術は、二の次だったんだなと。
カメラライフを振り返ります。
- ~大学2年夏
インスタントカメラでイベント毎に撮影 - 大学2年夏
デジカメ購入。以降、日常的にカメラを持ち歩き、ファミレスだろうが学食だろうが、どこでも断りなく撮影するパパラッチとなる - 大学4年位
サークル内でネットに写真公開ブームが来る。
天覧会という、伝説的な面白サイトが出てくる - 修士1年位
「散々撮っているんなら写真を公開しろ、撮らせたのにどうなっているんだ!」というシェア文化を先取りする様な世間の声に押されて、picasa webアルバムで写真の公開をはじめる - 社会人3年目
後輩の一眼レフの写真を見て「思い出は綺麗に残した方が良いな」と思い、自分も一眼レフを持つ。ただその後も、お祭りや雪山などアクティブな場面では、使いやすいコンパクトデジカメを使う。 - 今年
友達の結婚式も減り、ネット公開する機会も減る。
伴って、すぐに写真を撮る習慣が減ってくる
写真を撮っていた原動力としては、
- たくさんの思い出を残しておきたい
- コメントと一緒にして、その時の会話や些細な事もセットで残しておきたい
- いなかった人にもその事を伝えたい、そのことを話したい
だから写真見たよとか、コメント面白いね、とか何か言ってもらえて、思い出を少しでも共有出来たと感じる事が何より嬉しかったのです!
最近は、共有できる場面が減ってきているのがとても残念ですね…
表現したいという想いでなくとも、残したいという想いは変わらず。
撮影の技を身につければ、より鮮明に残せるようになるのかな。