SNS:ソーシャルネットワーキングサービスの略称。
今や現代人のコミュニケーションの根幹を成すツールとなっている。
シェアやいいねを通じて、人々が持つ関心事や評価を可視化出来るようになり、多くを語らないことが美学と思われてきた日本人の中に、かくも多くの自己顕示欲が眠っていた事をつまびらかにしてきた。
SNSの世界は、10数年前には存在しなかった、全く新しい社会を誕生させたとも見る事が出来る。
その種類も実に多様だ。インスタグラム、Facebook、ツイッターなど、タイプの違うSNSが数多存在し、年代や趣味趣向に応じて使い分けられるようになったが、日本のSNS文化を遡ると、その歴史は必ず1つのサービスにたどり着く。
名は mixi。
私をSNSの監視人にまで押し上げた、はじまりのサービスだ。
最近、色んなアカウントが増えてきてパスワードを管理するのがめんどくさくなってきた私は、サービス断捨離を進めていた矢先に、すっかり使わなくなったネット上の遺跡 mixi にたどり着いた。なぜか私のアカウントのサムネイルはツバメの巣だ。何故なんだ。
「マイミク一覧」を開けば、高校時代や大学時代の懐かしい友人達の名前が刻まれているが、誰一人ログインをした痕跡はなく、長い時間の経過を感じる事が出来る。名前も実名制でないため、今や誰が誰だか分からない。
「参加コミュニティ」を覗くと、漫画やネットラジオによさこいなど、まさに当時の写し鏡である。どうやら「レゲエパンチ」というコミュニティにも入っていたようだ。「乾杯は、レゲパンかカシオレのピッチャーでお願いします」そんな事を言われる街が、日本のどこかにあるらしい。
そして多くの想い出が刻まれた日記を見つける。結構まめに書いていて、びっくりする。mixiは使わないけど、この大量な日記を丸々破棄するのはなんともったいない事だろう。何とか、この日記を活かしてブログと統合する事はできないだろうか。
調べてみると同じような思いに至った人は結構いるようで、多くの知恵に辿りつくことができた。
どうやらmixi自体にはデータをエクスポートする機能はないようだが、フリーソフトでも駆使すれば、抽出・ブログ化が容易に出来るようだ。
「これで、これで全ての想いがひとつになる…」
まるで人類補完計画。これからこのブログと一つになる全ての思いを振り返るため、mixi日記に目を通してみた。
…
…………
内容のあまりの恥ずかしさに、私はそっとブラウザを閉じた。
見てははいけない、読んではいけない。そういった世界がある。
mixiは、再び深い深いネットの海に沈んでいった。