“象徴”という、難しい日本語があります。
主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。
このように定義されるているけど、どうにも分かりにくい。。。
実際によく使われる象徴の使い方としては
- ハトは平和の象徴
- 天皇は日本と国民の象徴である
- 時代を象徴する写真
とかとか。
なんとなく感じ取れます。
つまりは、例えたり言い換えているけど「それそのもの」って事ですね。
本日、歌手のペギー葉山さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
ペギーさんは、僕が思うに、よさこい祭りの象徴でした。
幾度となく高知のよさこい祭りに参加してきたが、毎年、全国大会の閉会式に登壇するペギーさんは、その身なり・佇まい・発言すべてが圧倒的な存在感でした。
アーティストとして、他とは全く違った視点からの講評も楽しみでした。
ある年には「皆さん、パントマイムのような動きを取り入れたらどうでしょうか」というやたらと具体的な提案があったと思えば、ある年には「衣装を評価する仕組があってもいいと思います」と言い、翌年には『優秀賞 彩』が新設されました。
閉会式の最後には、高知城をバックに大ヒット曲「南国土佐を後にして」を歌い上げます。ステージではすべてを出し尽くした踊り子たちが夏の終わりを名残り惜しむ中、最後の総踊りを舞って祭りは幕を下ろします。
信仰対象不在のよさこい祭りにあって、母なる存在の歌でみんなが一緒に踊る、夢のような空間でした。
その一方で、閉会式後、ひろめ市場の打ち上げでは、フレンドリーな面を見ることもありました。満員の市場で、座席がなく突っ立って飲んでいたヤカラの様な我々に、席を作ってくれ、審査員向けのご馳走まで分けてくれたのです!
カツオのタタキ、ごちそうさまでした。
多岐にわたって業界をけん引され、多くの功績のある方を、よさこい祭りの象徴と言ってしまうのは失礼かもしれませんが、あの時間はペギーさんが祭りそのものとなっていたのです。あのまぶしくも楽しい閉会式の様子は、これからもずっと忘れられないでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。